医療リテラシー 

病のフォークロア/医療の民俗史

病のフォークロア/医療の民俗史
https://academy6.5ch.net/test/read.cgi/min/1019047142/
1 :1:02/04/17 21:39

伝染病・不治の病・性病・一般的な病 etc...
病気や医療に関するネタをどうぞ。

このスレッドが立ったあらまし
民族神話板へようこそ【初心者用スレッド】
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/min/969543307/826-855

今まで出てきたネタのまとめは>>2-15ぐらいに。

2 :1:02/04/17 21:43

■今までに出てきた参考リンク
・日本語で書かれた医療人類学文献目録
http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/cs/cu/JMAallB.html
・庚申信仰
http://www1.kcn.ne.jp/~rascals/shikinokuni/kousin.html
・王朝文学にみる歯と口の風俗(虫歯)
http://www.iz2.or.jp/essay/index.htm

3 :1:02/04/17 21:49

■今までに出てきた参考書籍
<<庚申信仰>>
・庚申信仰 窪徳忠著 東京:山川出版社,1956.11
・庚申信仰の研究 : 日中宗教文化交渉史 (窪徳忠著作集) 窪徳忠著 東京:第一書房,1996.12-1998.2
<<癩病/らい病/ハンセン病>>
・姿としぐさの中世史 : 絵図と絵巻の風景から (イメージ・リーディング叢書) 黒田日出男著 東京:平凡社,1986.5
・境界の中世象徴の中世 黒田日出男著 東京:東京大学出版会,1986.9

4 :1:02/04/17 22:08

■参考書籍(適当にそれらしきものを探してみました。。)
・医者の風俗・迷信 (富士川游著作集) 富士川游[著] ; 富士川英郎編 京都:思文閣出版,1980.1
・医術と医業 (富士川游著作集) 富士川游[著] ; 富士川英郎編 京都:思文閣出版,1980.9
・疾病史・病志・療法の歴史 (富士川游著作集) 富士川游[著] ; 富士川英郎編 京都:思文閣出版,1981.6
・日本醫学史 : 決定版 富士川游著 東京:形成社,1972.8
・奈良時代醫學の研究 服部敏良著 東京:科学書院,1980.10
・平安時代醫學の研究 服部敏良著 東京:桑名文星堂,1955.4
・鎌倉時代医学史の研究 服部敏良著 東京:吉川弘文館,1964.11
・王朝貴族の病状診断 服部敏良著 東京:吉川弘文堂,1975.7
・仏教経典を中心とした釈迦の医学 服部敏良著 黎明書房,1968.6
・日本医療社会史の研究 : 古代中世の民衆生活と医療 (叢書・歴史学研究) 新村拓著 東京:法政大学出版局,1985.2

5 :1:02/04/17 22:21

■今までに出てきた病気の別称・通称・俗称etc...

・癩病(らいびょう) ※関わっている神・仏:阿〓仏(あしゅく)←「しゅく」の文字コードがない。。
ハンセン病/レプラ/かったい/天刑病

・痘瘡(とうそう)/天然痘(てんねんとう) ※関わっている神・仏:疱瘡神(ほうそう)
疱瘡or皰瘡(ほうそう)/豌豆瘡(えんどうそう/わんずかさ)/裳瘡(もかさ)

9 :828:02/04/18 00:00

>>1
ごめん。スレ立て、乙かれ。
というわけで、間違って先にカキコしちゃったい…。

交流の日本史 : 地域からの歴史像 / 地方史研究協議会編. -- 雄山閣出版, 1990
古代医療官人制の研究 : 典薬寮の構造 / 新村拓著. -- 法政大学出版局, 1983. -- (叢書・歴史学研究)
精神医学治療批判 : 古代健康訓から現代医療まで / H.テレンバッハ編 ; 木村敏[ほか]訳. -- 創造出版, 1985
日本古代の医療制度 / 丸山裕美子著. -- 名著刊行会, 1998. -- (歴史学叢書)

あとは、都市祭礼だな。
夏祭りだね、祇園とか。この辺は疫病、流行病とかの関連がある。

20 :天之御名無主:02/04/18 03:04

>>828氏
>あとは、都市祭礼だな。
>夏祭りだね、祇園とか。この辺は疫病、流行病とかの関連がある。

参考になります。
バカな質問をしてしまいますが、祇園は京都の八坂神社ですかね?
初詣で行く神社ですけど、病気と関係があるとは知りませんでした(;´Д`)

21 :天之御名無主:02/04/18 03:20

祇園祭りは疫病平癒で始まった。夏にあるのもそのため。
スサノオと牛頭天王とは民間信仰では同一視されてきた。

22 :山野野衾:02/04/18 08:23

同じ京都の今宮神社の「やすらい祭り」もそうですね。
似た様な祭りや牛頭天王(大抵牛神さんなどと呼ばれる様ですが)を祭る所は多いです。

18 : :02/04/18 02:38

医者と宗教家の切り分けはどうしたらよいのか…
僧医とか出てきたり…

23 :ひでよし:02/04/18 13:19

『七十一番職人歌合』の34番では医師と陰陽師が対になっていますので、
中世の段階では宗教と医療の関係は密接なものがあったようです

また、『鬼平犯科帳』には元は浪人で医学の心得のある陰陽師が登場し、
他の医者が匙を投げた難病人の治療をしたという話もありますので、
江戸時代でも最後は祈祷に頼る人も多かったのではないかと思います

25 :828:02/04/18 16:42

>>20
八坂神社もそうですね。
>>21-22に書いてあるように、博多祇園山笠などもそうです。

それから、>>23に医者と陰陽師の関係をひでよし氏が述べてありますが、
だからってそんなに関係は無いですが、明治に入るまで医師の地位はさほど高く無かったようですよ。
どうも国家が医師の地位を高めていくようです…。

44 :天之御名無主:02/04/19 12:55

>>23
国民皆保健が確立する昭和30年代までは、医者にかかれない農民が祈祷に頼るという光景は
農村ではそれほど珍しいものではなかったようです。

26 :え!:02/04/18 17:36

>25
医師の地位は幅が広かった。
というより免許制度がなかったから看板を揚げれば誰でも医業ができたのでピンキリ。
幕府の医学館の多紀家などの後典医からメルヘンなほねつぎや
目の不自由な人たちの独占事業であった鍼灸師など様々。
ただ本道(内科)では村の素封家などが兼業していたことも多く
いまの病院院長と変わらない位の地位だった。
また藩士としては儒者と序列争いをしていたというから
この面でも医者と弁護士の比較という現在の状況と大きなちがいはない。
また鍼灸師接骨医柔道整復師などが下にみられるのも昔のなごり。

27 :え!:02/04/18 17:49

↑ (訂正)後 → 御典医

ついでに言っておくと明治国家はほねつぎ針灸などはみとめていたし
薬屋が旧来の漢方薬による治療をすることも実質上認めていた。
西洋医学習得者にのみ医師免許を与えたがそういった人のみが本来の医師医者ではない。
言葉の定義の違いにすぎない。
条約改正などの為に従来上級の医師(本道家)になっていた階層を
西洋医にしようとする政策はとったが医師(全体)の地位を高めようとするような政策はとっていない。

29 :828:02/04/18 20:22

>>26-27
うーん、そうですね、定義なしに話を進めたのと歩とに聞いた話だったので
実証的でないところに問題あり、といったところでしょうか。
すいません、人に聞いた話を受け売りで得意気に書いちゃったから、随分間違いが多いようですね。
>>26-27に合わせるならば、西洋医にあたる人たちが国家として地位を高める、といったことを言いたかったのです。

その「地位を高める」ということですが、国家から免許を交付するという所から、
地位を高めていくものと考えられると思うのですがいかがでしょう?

30 :天之御名無主:02/04/18 20:42

単に西洋諸国の制度をまねしただけでそんな深い考えはもっていなかったのではないですか。
漢方医も医師と名乗れないだけで実際営業を続けられたのですから。
まあ御典医が(西洋)医師と名をかえただけで地位もそうかわってないでしょう。
日本を西洋化して国際的な地位をあげる一環ということはあるにせよ
実態は江戸期を引きずっていたし地位も藩医の子だった森鴎外が西洋医になったように
中国から西洋的制度へと上層部が上辺だけ変化したにすぎないのではないでしょうか。

31 :天之御名無主:02/04/18 21:06

確か佐賀藩では、幕末期に領内のすべての医者に対する
再教育をしていたはず(もちろん蘭学のね)

33 :天之御名無主:02/04/18 21:16

>31
医者ということばが曖昧。
医術を施すもの≠医者メルヘンの接骨医にまで蘭学を教えたとは思えない
藩おかかえの医師についてではないの?

42 :31:02/04/19 12:49

>>33
接骨医や鍼灸医は対象にはならなかったと思うけど、少なくとも
「藩おかかえの医師」だけではないのは確か

わざわざ医学校を開設し、免許制度を実施するわけだし、それなりに
徹底されたと思うし、遠方に住み通学が困難な場合は最寄の場所で
研修してもいいいとなっていたわけだしね

43 :31:02/04/19 12:51

それと穢多身分の医者の中にも外科手術を行う者もいただろうし、
なぜ接骨医だけに限定しているのかがわからない

34 :828:02/04/18 21:16

うーん、あとはいわゆる庶民の認識の問題ですね。
庶民はそんなに>>26のように認識してたんですかね。
その辺がつかめないんですが。

真似しただけか…。そうなのかなー。
わかんないなー。

藩が認知すると、偉くなりそうだなー、やっぱ、高いのかなー。

35 :天之御名無主:02/04/18 21:43

>34
地域によっても大きく違う。
三都では医師番付なんてのが発行されてたりして
役者や相撲取りのような人気稼業に近かったし
有名な医者に師事したというのが大事だったからいまの学歴とかわらない。
建前は誰でも看板をだせるが客がこない。
城下町ではまたちがうし、田舎では医家は酒屋とかとならんで素封家がやっていた。
患者を診るだけでは食べていけなかったから金持ちの慈善事業的性格があった。
だから田舎ほど庶民からみた医者の地位が高く、都会ほど低くなった
ありゃ いまと同じじゃないか。

38 :天之御名無主:02/04/18 22:09

民族版一口メモ
田舎のそういった素封家では 医療を施す家であることを示す
ために塀を赤くしたので 赤壁などと呼ばれてました。

39 :天之御名無主:02/04/19 08:42

>>26
どうだっていいことなんだけど、そのメルヘンって表現やめてくれない?

47 :39:02/04/19 19:49

江戸時代のことなら「穢多身分の人」でいいと思うぞ

49 :ひでよし:02/04/20 06:42

陀羅尼助を売り歩いた大峯山の修験者のように、漂泊する宗教者が
治療行為を行うことも多かったようです
これも宗教と医療の関係の密接さを示しているといえるでしょう

ここも参考までに・・・・
http://www.iijnet.or.jp/KUSURI/zenba00.htm

50 :天之御名無主:02/04/20 06:45

「和漢胃腸薬 陀羅尼助」
http://www.daranisuke.co.jp/about.html

7 :天之御名無主:02/04/17 22:34

アイヌの伝説では、天然痘の神を「パコロカムイ」と言います。

19 :天之御名無主:02/04/18 02:46

>>7
アイヌ語で天然痘の神はshikaketor kamuyではないの?
パコロカムイならpa-koro kamuyと考えられるがpaを
kor/koro (持つ)神としてpa (年、端、煙など)であって
特に天然痘の神を指すと思えない。  たまたま文脈上pase kamuyが病気をもたらしたというのを勘違いしたのでは?

52 :天之御名無主:02/04/20 07:26

ライ病に関してはまだ出てないの?

67 :828:02/04/23 11:06

>>52
癩病と小栗判官と熊野詣、全然あげられてなかったですね。
八十八カ所の巡礼の中にも癩病患者がいたようです。

なんか良さ気なページ発見。
長崎薬学史
http://www.ph.nagasaki-u.ac.jp/history/menu.html
でも、近代化に向かってって感じですかね。
医史学文献目録
http://www.rc.kyushu-u.ac.jp/~michel/jsmh/basic_sources_jp.html
いいんだか、悪いんだか、わかりません。

68 :天之御名無主:02/04/23 17:10

日本で最大の癩病患者の集落があったのは、群馬県の草津温泉だったそうです。
草津の強力な酸性泉が癩病に効能があるとしんじられていた。
それと点灸治療していたそうです。
戦後プロミン等の特効薬の出現で不治の病気ではなくなり8割以上は無菌者です。

69 :天之御名無主:02/04/24 02:20

大阪の四天王寺の西門にも 沢山のライ病患者が集まってたよ。
昭和初期までいた。 その後 強制収容所へ。

90 :天之御名無主:02/08/27 23:47

>69
「小栗判官」では、四天王寺の霊験でらい病が治癒するんだっけ?
アジールうんぬんと言い出すとまるで日本史板のようだが

78 :セト:02/05/02 20:53

癩病といえば,
鎌倉で日蓮と大喧嘩した忍性って坊さんが極楽寺に設けたのが
癩病患者や眼病患いを収容する病宿や牛馬の治療行う馬病屋だそうですね.
人間は兎も角,牛馬の治療まで行うとは恐れ入ります.

ちょうど今,中央公論新社「日本の中世Ⅰ」読んでるんですが面白くて.

14 :天之御名無主:02/04/18 02:18

ハンセン病が遺伝病と思われてた頃って(まあ感染しやすいのは家族だろうな)
その家系を表す言葉が何かあったよね。ドスマキとか言ったか。

96 :天之御名無主:03/01/14 05:17

ドスマケというのは、癩病マケのことです。
(波平恵美子 1984:『病気と治療の文化人類学』海鳴社、107-120頁)

ハンセン病の感染経路はいまだに断定できていませんが、極端に公衆衛生の良くない地域や、
これまで一度もハンセン病が流行していない地域では、時として大規模な流行(パンデミー)が見られる傾向が強いようです。

参考ウェブページ:特集 ハンセン病/熊本日日新聞社;
http://kumanichi.com/feature/hansen/

8 :828:02/04/17 23:55

コレラって明治の新聞追うと面白いけどね。
ちょっとしか見てないからなんともいえないけど。

76 :天之御名無主:02/04/28 21:25

コレラの脅威
日本で最初に流行をみるのは1822年(文政5年)でその後の3年間で10~20万人の死者が出、
明治期にはいってからは、1877年(明10)に最初のコレラ流行に見舞れる。
この時以後、ほとんど毎年患者が出るようになり、とくに1879年(明12)の大流行時には、
全国で16万3千人の患者、10万6千人の死者を出し、
同じく86年(明19)の大流行時には、15万6000人の患者、10万8000人の死者、
さらに95年(明28)には、5万5千人、死者4万人と、日清戦争、日露戦争の戦死者合わせても
10万二千人であるのから比べても、コレラ伝染病の脅威がいかに大きかったかがわかります。
コレラ騒動・迷信等に関する新聞記事の見出しで
1877.12.23  大阪日報 千葉県のコレラ一揆、コレラ病治療の医者を竹槍一揆が叩き殺す
1879.7.18  朝  野  コレラ病除けの祈願の珍景、裸身に泥を塗って数百名が練り歩く
1879.8.15  東京曙   笛太鼓に法螺貝吹き鳴らして、石川県下の「コレラ送」警官と衝突して危うく暴動化等など、
ほんの一部ですが民衆の恐怖とパニック状態が、見出しだけでも伝わってきます。

53 :天之御名無主:02/04/20 08:20

そういえば 富山の薬売りの話がでてないね。
置き薬で次に来るまでに使った分だけ支払うというシステムが
昭和30年代国民皆保険になるまで盛んだった。

54 :天之御名無主:02/04/20 08:28

紙風船とか、玩具を持ってきてくれるんだよね

56 :828:02/04/20 17:41

>>53-54
具体的には知りませんが、かなり広範囲に活動してるようですよね。

↓が参考になるかどうか…。こういうところもあるというところで。
中冨記念くすり博物館ホームページ(久光製薬)
http://www.hisamitsu.co.jp/syakai/kusuri/
内藤記念くすり博物館(エーザイ株式会社)
http://www.eisai.co.jp/museum/

55 :天之御名無主:02/04/20 10:30

思い出した紙風船もらったな。なつかしいな。
腹痛のときよく効いたし今病院で長く待つより良い制度だったのかも。
起源は江戸時代以前だったよね。 
富山は藩が奨励したので最大勢力だったが他にもあったはずだ。

57 :天之御名無主:02/04/20 21:15

屠蘇の薬効
中国後漢の末、華陀によって処方され、九世紀、嵯峨天皇のころ、日本に伝えられた。
八種類の薬草にそれぞれの薬効がある。

江戸時代の民間薬
下痢止めにゲンノショウコ、沈静剤にマタタビ、解熱剤にアジサイ、目薬にミョウガ

富山の薬売り
元禄3年、江戸城内で奥州三春藩主が急病で倒れた。
たまたま居合わせた富山二代目藩主前田正甫が、所持していた反魂丹で命が助かり、
そのニュースが城中に広まり、全国の藩主たちが反魂丹の行商を前田候に懇願したのが発端で、
富山のクスリ売りが全国にひろがった。

59 :天之御名無主:02/04/21 08:28

江戸時代の民間薬
堕胎にホオズキ、暗殺にトリカブト

61 :天之御名無主:02/04/21 22:14

附子
カラトリカブトの根で、猛毒があるが、漢方薬として、加熱処理して用いられる。
虚弱体質の人のための生薬で、強壮剤としてつかわれるそうです。

製薬会社のルーツは大阪がおおい。
大阪道修町には薬種仲買が多く、生薬の取引をとりしきり、偽薬の防止、売り惜しみ、
買占め防止、の役目を持ち、幕府公認の存在であった。

62 :天之御名無主:02/04/22 12:14

首切り朝右衛門家の「あさえむ丸」というように家の秘伝としてつたわる家伝薬も全国に結構多いようですね。

64 :天之御名無主:02/04/22 14:07

土方歳三が売ってたのは「石田散薬」だっけ。

80 :天之御名無主:02/05/06 18:07

かっては、夏がやってくると「定斎屋」というのが、
夏ばてを防ぐ腹薬や、日射病、毒消し、整腸、暑気払いといった薬を売りにきていたそうです。
得に効能があるということで売れたのが「延命散」だったそうです。
「定斎」というのは、今から400年程前明国から秀吉に贈られた霊薬をもとに、
大阪の薬種屋定斎が売り広めたことが始まりで、その後江戸では、
日本橋新右衛門町の大阪屋藤右衛門と、馬喰町の糸屋又兵衛が、
昭和の始めごろまで定斎屋の老舗として有名だったそうです。
他に薬箱を背負って売りにくるものに、軍服姿で手風琴にあわせて歌いながら売る
「オイチニの薬売り」が有名で、「定斎屋」は箱がカチャカチャなるので
「カチヤ屋」ともいわれ夏の風物だったそうです。
「石田散薬」もそういうたぐいの薬なんでしょうか?

66 :天之御名無主:02/04/23 10:27

軽紛 「はらや」ともいう水銀粉
水銀、食塩、にがり、赤土をこね合わせ、加熱して得られる昇華物。
劇薬だが梅毒駆除や利尿、下剤、抗菌作用もある。
わが国に梅毒が伝来したのは、室町後期の永正年間とされる。
しかし、平安初期の医書「大同類しゅう方」には、穴瘡、魔羅瘡とみられるので
外来の梅毒以前に在来の難病があったのでしょうと。
この水銀粉を原料とした白粉は、平安時代に上流貴族に愛用され御所白粉とよばれたそうです。

72 :ひでよし:02/04/26 17:13

古代・中世においては、和歌には魔を祓う力があると考えられていたそうで、
病気の平癒を祈願して和歌を奉納することがあったそうです

例えば、長享元年(1487)2月20日には足利義尚のために殿中女中たちが
千句連歌を行ない(『長興宿禰記』)、翌年(1488)4月8日には嘉楽門院のために
名句御連歌が行われ(『御湯殿上日記』)、延徳元年(1489)には足利義政のために
御祈祷千句連歌の興行が北野社松梅院において行われ(「北野社引付」)るなど、
文献史料に散見されるそうです

105 :天之御名無主:03/06/20 22:42

『枕草子』に
病は、胸。もののけ。脚の気。(以下略)
と、あるので少なくとも清少納言は物の怪を「病」と考えていた模様。
病の定義自体が今とは違うのかも。

111 :天之御名無主:2005/04/02(土) 03:33:18

とんとんとん
七草 なずな
唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬ先に
とんとんばたり とんばたり

唐土の鳥は昔から、災いを持って渡ってきていたのか?
というような話が、まことしやかにウイルス騒動でいわれていたな。

60 :ひでよし:02/04/21 15:46

腕の悪い医者という意味で使われる「薮医者」ですが、本来は「野巫医者」
であり、祈祷による治療を行う医者のことであったといわれています
これも宗教と医療の密接さを示す例の一つだといえるでしょう

ここも参考までに・・・・
http://www13.big.or.jp/~msk/tisen/60/60642.html

94 :天之御名無主:02/09/22 01:40

ヤブ医者のルーツは兵庫県養父郡の地名からきているそうで
元々はその地域は名医を輩出しそれにあやかった
自称養父出身名医と名乗るペテン師が続々と出てきて、
その為に腕の悪い医者の代名詞となった。
という説もあると本に載っていましたが。

93 :A:02/09/22 01:00

中世の英語でヤブはquackslave
綴り違うかも。
民間信仰で患者を治療するのにアヒルを使って託宣を得ていた習慣の名残らしい。

81 :天之御名無主:02/05/08 22:34

筍医者
薮医者より下手な医者をタケノコといいます。タケノコは薮に達しないからだそうです。

87 :天之御名無主:02/05/31 02:11

>81
スズメ医者
だんだんヤブに近づく

土手医者
ヤブにもなれない

ヒモ医者
患者が全くこなくなり、残されたのが紐一本。
……ブラ~ン……

パタリロにこんな解説があったな。

88 :天之御名無主:02/05/31 05:46

ヒモ医者のこころ
『かかったら死ぬ』
首吊るようなもん…
とパタリロにはあったな。

91 :天之御名無主:02/08/27 23:55

>○○医者

上方落語の「夏の医者」「ちしゃ医者」等のマクラや話中のアドによくつかわれますね( ^ω^)

86 :天之御名無主:02/05/29 22:48

取り敢えず葛根湯を処方する医者のことを「葛根湯医者」といいます。

治る人は治る。

89 :天之御名無主:02/06/01 03:08

葛根湯は、寒邪にはキク! ただ、ひきはじめ用のクスリダス 
所謂、夏風邪(のどの痛みから始まる)には、禁止.体に熱がこもってシマウ
余談だが、肩~上の痛みにキクので、葛湯も肩こりには、おすすめでアル

77 :天之御名無主:02/05/02 20:12

江戸時代、日本は眼病国だったらしい。
日本を訪れたヨーロッパ人の日本滞在見聞記には
「世界のどこの国をとっても、日本ほど盲目の人の多いところはない。
その理由は、眼病の治療法をまったく知らないことにその大半の原因がある」と。
寺社に平癒を願って、寺社の閼伽水や神水で目を洗って、これが感染源になる眼病も多かったらしい。
道路が舗装されていない江戸の町は砂ぼこりもひどかったのかもしれません。

82 :天之御名無主:02/05/11 20:28

目の病で麦粒腫の事をモノモライといいますが、関西ではメバチコといいます。
目にバチ(罰)があたったんだそうです。福島のある地方ではメノ(膿のもった目)というそうです。
各地方によって呼び名が違うのでしょうか?

83 :天之御名無主:02/05/12 01:48

>>82
あなたヤヴァイ話題を振ってしまいましたね。
俺にも言わせろってのがゴマンと出てくるよ。

四国では「めぼ」
どこかでは「めんぼ」「めいぼ」なんてところもあったなあ。
沖縄では「きーぶるだっちゃー」

84 :天之御名無主:02/05/12 03:18

モノモライって言い方は、麦粒腫にかかったときはご近所から
食べ物を貰って食べると治るとゆー民間療法(?)があったからだそうな。
「めぼ」ってのは九州(小倉)でも聞いたよ。

92 :天之御名無主:02/09/22 00:21
むかし「メルヘンの人にトラコーマが多かった」とか人権板で見たことがあります…
112 :求道心:2005/04/23(土) 23:12:43

めばちこ治療について、私が経験した風習。

女性ものの櫛を畳の縁でこすり、その櫛を患部にあてる。そして生卵を飲む。最近はさっぱり聞かなくなったが、子供の頃自分がめばちこになったとき、親戚のおばはんどもが集まってきて、なすがままされてしまった。まぁ実際眼科に行くまでもなく直ったが。
そのときの話で、めばちこは一度できると、生涯で七回できるという話もしていたが、真偽のほどは定かではない。(事実なら自分はあと3回めばちこができることになるが・・・)

風邪で高熱を出した際、ナメクジをいきたまま飲むのがよいといって、祖母がよく飲んでいたが、確かに即効性があり、翌日にはケロッとしていた(私はやったことなし)。
たしかプロバンス地方の民間療法でも高熱にはナメクジという話を何かで読んだ覚えがあり、意外と民間療法は世界でも共通するものがあって驚いた記憶あり。

113 :天之御名無主:2005/04/23(土) 23:44:09

あぁ、作家で議員でもあった今東光もナメクジ呑んでたそうだね。
それでも丸山ワクチンに変えて、結局ガンで死んだけど。

114 :天之御名無主:2005/04/28(木) 23:29:38

あら、こんなスレあったんすね。
ほとんど話題になってないけど、外科技術でいえば穢多がピカ一でしょう。

なんといっても中国医学の怪しげな人体図なんぞとちがって、
動物なんかの解剖を通して実学として学んだホンモノの知識でしたから。

杉田玄白らが「解体新書」のために刑死人を腑分けしたときの執刀医が
90過ぎた穢多のじいさんだったんだが、『これは肝臓、これは肺』などと
臓器といわず血管から筋にいたるまで、ひとつひとつ取り出して玄白たちに
指し示して教えた、ってんだからねえ。

しかもそれが全てターヘルアナトミアに記述された最新西洋医学と寸分たがわず、
じいさんの知識の正確さに本職の玄白らが舌を巻いたそうな。
最後の科白がまた奮っている。
 『人の身体ってのはみぃんなこうなってるんでさぁ』 って。渋いね。

115 :天之御名無主:2005/04/29(金) 10:24:34

日本史で医学といえば、まず漢方、生薬の東洋医学だね。
医食同源。つまり食事療法が最初にありきだったのだろうと思う。

歴史的にみれば、罹患率が高かったのが風邪・喘息・脚気・寄生虫・食中毒。
特に風邪はペリシニンも無かった時代、幼児の死亡率の大半はこれだった。
今では考えられないが、日本も今のアフリカのような乳幼児死亡率の高い時代があったんだよ。

116 :天之御名無主:2005/04/29(金) 23:15:39

アラビアンナイトに「テリヤカ」だか「テリヤーク」だったか、
そんな名前の万能薬が出てきたような覚えがあるのですが、
現在では滋賀県の製薬会社にのみ製法が残っているらしいと聞きました。
(滋賀県の製薬会社って近江兄弟社?)
これって、実際には何の薬なのでしょうか?

118 :天之御名無主:2005/05/01(日) 14:48:57

>>116 名前は「テリアカ」。アラブの音だと「ティルヤーク」が近いのかな。
もともとは一世紀ころにローマで作られたといい、その後、処方は改良され変化し、
日本や中国には「底野迦」の名で伝来。
作っているのは製薬会社というより、処方箋薬局みたいなところだと聞いたことが…。(←伝聞なので自信なし)効能は解毒。
底野迦は、特に獣類に咬まれたときの解毒に用いられた。
なお、過去には材料にマムシやアヘンが使われていたようで、現在はそのままの製法では作ることができないらしい。

119 :116:2005/05/02(月) 23:22:05

>>118 解毒剤なのですね。
マムシで体力をつけて、アヘンでぼーっとさせて、
毒が抜けるのを待ったのでしょうか。
「底野迦」で検索したら色々出てきました。
ありがとうございました。

124 :天之御名無主:2007/01/21(日) 16:57:45

蝮の皮って切傷・創傷・刺し傷の貼り薬になるようですね。
ただ、患部以外にはみ出すと逆に炎症が起きるとか。

125 :天之御名無主:2007/02/07(水) 20:09:10

>>124
寄生虫が感染しそうでこわいな

127 :天之御名無主:2007/02/23(金) 15:04:45

ガマの油売りの現代版と解釈すれば、民俗学が口を挟む余地はあるかも。

129 :天之御名無主:2007/02/26(月) 03:21:38

ガマの油売りって、一回だけ本物の実演を見たことがあるのだが、
本当に自分の腕を切るのな。
血が滴り落ちるとは言わないまでも、数滴以上は流れ落ちる。
そこにガマの油を塗ると、ぴたりと出血が止まるの。

何百回と切っていると、そういう風に腕が変化しているのかしら。

130 :天之御名無主:2007/03/02(金) 09:43:01

>>129
手品

131 :天之御名無主:2007/03/02(金) 14:47:16

ガマの油にはセンソだっけ?幻覚物質も含まれてるし・・
まだ謎だらけ・・

132 :天之御名無主:2007/03/26(月) 04:30:29

疳の虫が激しい子供の手のひらに梵字みたいな紋様書いて祈祷すると
子供の指先から白いイトミミズみたいなのが出てきた奴が、昔何かの番組であったっけ
それを坊さんが引っ張って取り除くと、子供がビクンッとなって途端に泣き止む
あれはビックリしたなぁ、衝撃映像だったかな

133 :天之御名無主:2007/03/30(金) 18:59:33

>>132 これって、ピアスの穴から白い糸が、っていう都市伝説の元となった話?

134 :天之御名無主:2007/03/31(土) 04:19:20

そうかも。いやあ、貴重な話だなあ

135 :天之御名無主:2007/03/31(土) 10:11:15

>それを坊さんが引っ張って取り除くと、子供がビクンッとなって途端に泣き止む

ピアスの白い糸の場合、女の子がそれをひっぱっていると、突然プツンと音がして、目の前が真っ暗になるんだっけ。

136 :天之御名無主:2007/04/07(土) 00:17:58

>>132
驚きました! これ私も経験があります。
母方の祖父が寺の住職で手の平にお経の文句を書いてそのあと塩を少し握ります。
でそのあと水で洗って乾かすと手の指から白くて細い糸くずみたいなのが出てくるのですよ。
祖父の話だとカンの虫だどうでした。
もう40年以上も昔のことですが。

137 :天之御名無主:2007/04/07(土) 02:15:33

小児の手に真言(梵字)を書く方法の「疳の虫封じ」をすると、
指先から白い糸状のものが出てくるのを、実際に目撃した人って、多いですよね。
私も、「この目ではっきりと見た」という人を何人か知っているですが、
うそを言っているようでも、見間違えたようでもないようです。
これって、何なんですかね。

「疳の虫」でぐぐると、さらに多くの体験談が得られるのですが。

139 :天之御名無主:2007/04/12(木) 01:24:03

夜泣き・疳の虫に、宇津救命丸って、まだ売っているの?

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古来、日本人はいかに病気と闘ってきたか。人骨や糞石には古代の人々が病んだ痕が遺されている。結核・痘瘡・マラリアなどの蔓延に戦いた平安時代の人々は、それを怨霊や物の怪の祟りと考え、その調伏を祈った。贅沢病といえる糖尿病で苦しんだ道長、胃ガンで悶え死にした信玄や家康。歴史上の人物の死因など盛り沢山の逸話を交え綴る病気の文化史。

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