医療リテラシー 

身障者・狂人・その他特殊な病気の患者の社会史

身障者・狂人・その他特殊な病気の患者の社会史
https://awabi.5ch.net/test/read.cgi/whis/1321744208/
1 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 08:10:08.93 0

身体障害者、心身障害者や、統合失調症患者、ハンセン氏病患者に対する差別、隔離政策、保護、福祉などについて語るスレです。
※かなり微妙な話題なテーマですので、節度を持った発言をお願いします。

2 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 09:20:18.38 0

史上もっとも有名な身体障害者はティムールでOK?
それとも、このスレでは先天的なものに限定するのかな。

12 :1:2011/11/20(日) 17:52:01.96 0

>>2
>このスレでは先天的なものに限定するのかな。

もちろん、後天的なものも対象としています。

19 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 18:34:07.78 0

>>2
隻眼を身障者に含めるなら、ハンニバルがおりました。こちらが史上もっとも有名ですね。
英雄系は、やっぱり戦争中の身障が主たるものになりそうです。

24 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 19:29:06.86 0

>>19
ネルソン提督やダヤン将軍も忘れちゃイヤン

25 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 19:39:29.36 0

戦傷での隻眼ならフィリッポス2世にアンティゴノス1世、夏侯惇、クトゥーゾフ、ネルソン(のち右腕も失う)
生来の眇なら元祖独眼竜の李克用やバイバルス
ハンニバルのは行軍中に結膜炎に罹ったせいらしい

21 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/11/20(日) 18:43:22.93 0

>>2
彼と対戦したバヤジットも隻眼ないしは眇であったと言います。
眇と言えば、平清盛の父である忠盛が有名。
公の場で公家たちから「伊勢のヘイシはスガメなり」とはやされたものの、
見返して逆に賞賛されたという逸話があります。
(平氏と瓶子、眇と酢瓶をかけてある)
しかし、今の大河ドラマというか、現代の風潮では出すのは無理でしょうね。

この時代は、高身長でひょろりとしていたり、色が黒かったり青白かったりすると、公家でも囃されました。
それを歌や当意即妙の返事、行動で見返すのが、甲斐性とされたものです。
ただ差別だと押さえ込むより、こういう身体的特徴を認めた上で価値を誇示して見返すという方が、私は好きですね。
現代にやれとは申しませんが。

22 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 19:03:36.68 0

>>21
>この時代は、高身長でひょろりとしていたり、
ちょっと違うかもしれませんが、2mオーバーのピョートル大帝は巨人症のようですね。
年少の頃は、あるいは宮廷で囃されたりすることもあったかもしれませんが、
開けっぴろげな性格と溢れる知的好奇心で、良い意味で史上の「巨人」となりました。

4 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 13:45:47.20 0

フランクリン・ルーズベルト:ポリオの後遺症で下半身まひになり、車椅子を使用していた
ヨーゼフ・ゲッベルス:小児まひにより右足が短くなり、歩くときはひきずっていた

156 :世界@名無史さん:2012/04/01(日) 17:30:56.14 0

スターリンも精神的に障害があったみたいだな。それに彼は左の腕と足が不自由だったとか。
それから足の指もくっ付いてるのもあるとか。

5 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 14:21:30.10 0

クラウディウス帝

7 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 16:13:44.23 0

シャルル6世(フランス王)
恐らく母方の祖父からの遺伝。孫のイングランド王ヘンリ6世にも遺伝
親政を始めてしばらくして、突如キレて武器を振り回し側近を惨殺
その後は時々正気に返ることもあるが、叔父・従弟と弟がしゃしゃり出て国内は大混乱
ちなみに当の本人は天寿をまっとうしたw

6 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 15:52:11.69 O

・ルートヴィヒ2世(バイエルン国王)
国政放置で森の奥にたてたメルヘンちっくなお城で白鳥ごっこ。
統合失調症と重度ヒキコモリ?
ガチホモが精神疾患か否かは現代でも微妙ラインか

・エリーザベト妃(オーストリア皇后)
王室が嫌になって放浪者になってしまった系
なんか雅子さまやダイアナ妃と同じタイプの病気ぽい
普通のお嬢様が格式ある王族に嫁ぐとこうなっちゃうものなのね

9 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 16:32:40.69 O

同性愛を精神疾患だなんて、馬鹿も休み休み言え。

23 :6:2011/11/20(日) 19:27:00.56 O

>>9
うっかり同性愛と性同一性障害がごっちゃになってました
スルーしてくださいな

WHO「国際疾病分類」の改訂により、性同一性障害は「精神障害」の分類から除外となりました。名称も「性別違和」「性別不合」へと変更されています。

10 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 16:54:30.61 0

>>6
エリザベートは宮廷にいたときは、郷ひろみ級のトレーニングオタクだったしな。

8 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 16:15:36.88 0

冷泉帝

11 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/11/20(日) 17:51:52.29 0

五台山は文殊菩薩の霊地。
文殊は老人・女・子供・病人が主な救済対象であったため、
食事や蒸し風呂の施与を積極的に行うべき対象とされていました。
この信仰、日本にも影響を与えています。
光明皇后が風呂で綺麗にしたのは阿閦如来であったと言いますが、
聖徳太子が衣を施した道端の老人や、行基は文殊の化身とされていました。
己が弱者の姿で現れるから、敬って救えとは文殊について説かれた経典の弁。

ただ、病人と囚人を兼行で助けた僧侶の例が見られるのは、
病人も囚人と同様に、「悪行」の報いを受けた存在と見做されたためですね。
ハンセン氏病などの「業病」は己の行いの結果と見做されたので。
ただ、これは当時の人間の世界観から「病原」を追求した結果で、
知識の積み重ねられた現代から批判するのは、妥当ではないでしょう。

>>6
そもそも、その二人は親類ですね。
浅野長矩の母方の叔父も刃傷沙汰を起こしていたという話を思い出します。

>>8
突然火鉢の上に乗るわ、マラの絵を描くわ、火事の後に突然歌い出すわ。
三種の神器の内、剣を開封しようとなさったともいう。
更に息子の花山院は、狂ってもいないのに火事見舞いに訪れた先で父親が歌い出すと、これに唱和していた変人。

63 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 16:04:05.81 0

123 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/25(日) 22:45:18.66 0
大谷吉継

豊臣秀吉の腹心の一人であり、後の敦賀城城主でもあります。
彼はハンセン病を煩い、顔を白い頭巾で隠して戦った戦国武将としても有名です。
豊臣秀吉に「大谷紀之介(吉継)に100万の軍勢を与えて、自由に軍配を指揮させてみたい」と言わしめた名将です。

ところで、大谷吉継と石田三成との間には、深い友情が存在したとされています。
固い友情が結ばれた背景には、以下のような出来事があったようです。
天正15年(1587)大坂城で開かれた茶会において、招かれた豊臣諸将は
茶碗に入った茶を1口ずつ飲んで次の者へ回していきました。
この時、ハンセン病(当時の不治の病)であった吉継が口をつけた茶碗は誰もが嫌い、
後の者達は病気の感染を恐れて飲むふりをするだけでしたが、
石田三成だけ普段と変わりなくその茶を飲み気軽に話しかけてきた。

(一説には吉継が飲む際に顔から膿が茶碗に落ち、周りの者達はさらにその茶を飲むのをためらったが、
三成はその膿ごと茶を飲み干し、おいしいので全部飲んでしまったからもう一杯茶を注いでほしいと気を利かせたとされる)

その事に感激した吉継は、石田三成に対して大きな恩義を感じたとのことです。
そして、天下分け目の関が原の戦い。
徳川家康とも近しい関係にあった大谷吉継ですが、彼は、西軍として徳川家康率いる東軍と対峙することになります。
彼自身は、西軍に勝ち目なしと予測していましたが、石田三成と共に戦う道を選んだのです。
彼は、東軍に寝返った小早川秀秋に対して、かねてより小早川隊に備えていた直属の兵600で迎撃、
兵力で圧倒する小早川隊を一時は500メートル押し戻し2、3回と繰り返し山へ追い返したといいます。
しかし、他の寝返った武将の攻勢も受け、彼の隊は壊滅。
大谷吉継は戦場にて自害し、享年42歳にて亡くなったそうです。

13 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 17:56:30.70 0

日本のハンセン氏病患者って、多くは乞食をやらざるをえなかったんだよね?
他の職業にも就けなくて。

14 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/11/20(日) 18:15:25.91 0

>三種の神器の内、剣を開封
失礼、剣ではなく、璽(印とも考えられたが、実際は勾玉)でした。
剣を抜こうともされたそうですが。
普段は大人しいものの、足が傷つくのを構わず一日中屋内で蹴鞠を続けられ、
梁の上に鞠を乗せようとなさったとか、逸話が多い方です。

>これに唱和
記憶があったのですが、今調べたらこちらは確認出来ませんでした。
ただ、素でおかしなことをなさるので「冷泉院の狂いよりも、
花山院の狂いの方が手の施しようがない」と言った公卿もいたというのは事実。
火鉢の上にというのは、「炬火屋」の上に昇られたという話であったやも。
摂政であった藤原実頼いわく、「往代聞武猛暴悪之主、未聞狂乱之君」。

>>13
寺社の門前に小屋をかけ、寺院と俗人の援助を求めていたようですね。
奇形の人間(片輪)も、同様にしていた様です。
彼らが乗る車を曳いてあげると、功徳になると言われていました。
身体が不自由になっていた主人公が車で湯治場まで曳かれる『小栗判官』はその一例。
近代の方言でも使われた「かたゐ」は、片輪、ハンセン氏病患者、乞食を指す言葉であり、罵倒語でもありました。
乞食はほいととも言いましたが、こちらは語義がよく分かりません。

191 :世界@名無史さん:2012/09/07(金) 22:09:49.15 0

>>14
乞食を「ほいと」というのは、東北から北海道方面の方言の「ほいどこき」(欲張り)の省略形なんじゃないかな?

192 :世界@名無史さん:2012/09/07(金) 22:11:44.86 0

というか…しらべてみると仏教用語で「ほいとう」ってのがあるんだね。

193 :世界@名無史さん:2012/09/07(金) 22:32:11.21 0

ほいと(ほえとう)=ホームレス、乞食
(古・仏教用語)陪堂 ほいとう:托鉢僧・飯米の施しを表す
http://www.takeoff-tanabe.jp/hougen.htm

東北に限らない言葉みたいだね。
私はまた、山の中で暮らして吠えたりするから「吠え人」かと思ってたよ。

194 :世界@名無史さん:2012/09/07(金) 22:44:45.57 0

乞食を表す言葉に「かたい」というのもある。
そしてライ病やみも「かったい病」という。
ライ病になったら家を追い出され、流浪の旅をするほかはないから。

いまどきの「砂の器」は、このライ病をぼかしてしまうから面白くない。

15 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 18:23:03.49 0

>>13
日本はというより西洋でもハンセン病の患者は町はずれなどに隔離されていた描写をみる。

日本ではイタコは視覚障害の女性がなっていたとか。

141 :世界@名無史さん:2012/03/11(日) 17:09:06.80 0

東北のイタコって
障害者食わせる余裕のない貧村で
先祖に対して住民が安堵するための役割を与えて、コミュニティ全体で保護してあげようって役割もあるんだよな

インチキ霊能者扱いでバラエティ番組に引っ張り出して笑い者にしてる様子を見ると、反吐が出る

17 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 18:24:25.82 0

>>15
街から離れた場所に隔離されるのと、乞食をやるのとでは真逆じゃない?

16 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 18:23:24.13 0

>寺社の門前に小屋をかけ、寺院と俗人の援助を求めていたようですね。

中世、近世通して、こういう慣行が行われていたのでしょうか?

18 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/11/20(日) 18:33:25.32 0

>>16
中世には明らかに見られたもので、『一遍聖絵』にその光景が描かれています。
彼らが小屋架けをしていた大きな寺社(四天王寺など)が救済対象としていたということですが、
時宗の史料であり、上の『小栗判官』でも時宗の上人が援助しているという様に、時宗が特に熱心であった様です。
願阿弥による、貧民救済も有名。
「罪の報いを受けている者」への救済という点をあげつらう人もいますが、
これは後出しジャンケンでしょう。当時の価値観です。

近世はよく分かりませんが、少なくともハンセン氏病で乞食は普通にいました。
宗教的な見方には、変化が出ていたと思いますが。
大きな祭りの時に乞食が数十人門前に連なるという光景は、
戦前まではまだ見られる光景でしたし、片輪や病者もその中にいたでしょう。

前近代に不治の病をかかえていると、まともな職に就ける可能性が低い。
江戸時代に金玉が広がっている乞食を治そうとオランダ人の医師が申し出たところ、
これが施しを生むので、お心遣いは有難いが遠慮すると言われたという逸話があります。
地鎮盲僧も含めた琵琶法師(最初から盲目だったかは不明)、ごぜ、イタコが
盲目であったのも、他に就く職業がなかったというのが大きいでしょう。
とどのつまり、音曲か宗教ということになる。

20 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 18:42:17.25 0

>>18
>盲目であったのも、他に就く職業がなかったというのが大きいでしょう。
>とどのつまり、音曲か宗教ということになる。

盲目の場合、あんまもありますね。

175 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 19:03:38.03 0

江戸時代の視覚障害者に対する雇用政策はかなり充実していたらしい。
高利貸とか質屋は視覚障害者が優先して免許されたとか?

177 :世界@名無史さん:2012/04/21(土) 19:18:28.21 0

視覚障害者は按摩とかやるんじゃないの?

178 :世界@名無史さん:2012/05/20(日) 00:12:35.74 0

一つの職業がまかないきれないぐらい数が多かったんだろ

26 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/11/20(日) 20:02:22.18 0

>>20
おおせの通り。

>>22
文字通りですね。

ヤン・ジシュカ→軍人。片目から全盲へ。
アゲラシオス2世→スパルタ王。片足が不自由。
汪士慎→文人。書画を能くしたが、晩年に失明。しかし大字狂草を書いて賞賛され、金農をして「盲其目、不盲其心」と言わしめた。
吉嗣拝山→南画家。関東大震災で右腕を失い、後に左手で描いた。
青木木米→陶工で南画家。窯に耳を押し付けて音を聞いていたため、晩年に聴覚を失う。なお、この時代の文化人の倣いとして、拝山同様己が障害者であることを自虐的に号に用いている。
田中訥言→土佐派の絵師。晩年に失明し、自殺した。晩年の号である晦存・求明は生涯を示すともいう。
飯塚竹斎→南画家。晩年は歩行不可能となっていた。
三世沢村田之助→歌舞伎役者。左手の小指以外の手足をほぼ失いながらも出演。

どもり、重瞳、指が六本という人も割といますが、不自由までは行きませんね。

115 :世界@名無史さん:2012/01/11(水) 18:42:55.91 0

指6本は今も珍しくないよね。
隔世で6本が出た家族を知ってるけど
祖父母世代も孫世代もサクッと乳児の時に手術してた。

108 :世界@名無史さん:2012/01/07(土) 06:26:15.54 0

>指が六本

秀吉は本当か分からんが、江青は足のどっちかの小指が一本多かったと。

28 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 21:29:09.19 0

>>26
>指が六本という人も割といますが

秀吉の指も、6本だったって説がありますね。

29 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/11/20(日) 23:03:42.26 0

>>28
フロイスと利家の証言にあるそうですが、どちらも未確認なので敢えて避けました。
主観的な証言があまり信用出来ないフロイスの『日本史』は面白いですが、
自分の根が仏教徒なものですから、読んでいて読みづらいですね。

30 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 23:12:06.82 0

フロイスってやっぱりあんまり信用しない方がいいんですかねぇ。
『ヨーロッパ文化と日本文化』なんて、あちこちで引用されてるけど、本当かよ?って言いたくなる記述がたくさんあるし。

31 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/11/20(日) 23:25:58.69 0

あれは嘘というか、かなり極端な例を挙げていますね。
注釈の方も、辻褄を合わせるのに苦労している。
近代の比較文化論でも、よく見られる光景ですが。同種扱いするにせよ、反対とするにせよ。
フロイスは、上司から「発言が大袈裟」と評価されていました。
信長の人格(宗教観)についての評価から言えば、禅宗の信仰を取り違えたものと思います。

>>27
「狂人」の扱いというのも、難しかったでしょうね。
京都の大雲寺(光源氏がマラリアの療養に訪れた寺のモデルともいう)は、
近代の治療が入るまで、その手の患者の療養施設として有名でしたが。
基本は大雲寺や上賀茂社の霊水を飲ませて座敷牢。
フアナは火の気を与えられなかったそうですが、実際火事を起こしかけた話もあります。
照明と暖房が火しかない時代、つらかったですね。

32 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/11/20(日) 23:27:04.95 0

>実際火事を起こしかけた話もあります。
日本で座敷牢に閉じ込められていた狂人が、ですね。失敬。
取り上げるしかないが、そうなると寒いし暗い。

33 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 23:29:42.00 0

>>31
>かなり極端な例を挙げていますね。

なんか、地球の反対側に、ヨーロッパとはなんでも真逆のやり方の風習を持つ民族がいる!
って言いたいのが見え見えですよね。
なんでもかんでも対比的に図式化して書きすぎというか。

34 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/11/20(日) 23:50:45.86 0

>>33
仰せの通り。
翻訳された文章が、現代日本人に理解しやすいという点もあって受け入れられやすい人ですが、
同時代の日本の史料との突合が必要です。
ただ、それでも幅広く日本の文化について記録してくれた功績は大ですが。
何より、こうした極端という陥穽には、現代人も陥りがちですから。

秀吉が六本指という話、仄聞の結果ですが、『看羊録』にもありました。

218 :レリン ◆SOLUNbNOGQ :2012/11/27(火) 20:32:51.24 0

17世紀オスマン朝についていうならばテンプレで挙げられている人達に関しては
内部に様々な観点・考え方があり一様ではなかった。

例えば「ハンセン氏病」。
イスタンブールでは「ライ病」患者はウスキュダルの特殊施設に隔離されたが、当時はウスキュダルは首都の「外」。
職務上失敗した役人が左遷されたりペルシャの使節が待機させられた場所で、
現在とは異なりあまりいい土地とはされていなかった。

アナトリアの他の都市でも同様で、患者は都市外の隔離所に「ハンセン氏病」患者が収容されている。
その一方で、同時期のカイロには隔離施設など存在せず
「ハンセン氏病」患者が街中を徘徊して物乞いしていたと伝えられている。

敢えて括弧つきで「ハンセン氏病」と書いたのは、
この当時「ハンセン氏病」と診断されていた症状が果たして現在で言うところのハンセン氏病と
同一のものとは限らない可能性があるから。

実際に17世紀中盤にオスマン朝を訪問したジャン・ド・テヴェノは
旅行記にブルサやウルファの温泉が「ハンセン氏病」を完治したという伝承が伝わっていることを記録しており、
もし完治報告が伝承でなく事実であるならば明らかに別の病気ではないかと思われる。

219 :レリン ◆SOLUNbNOGQ :2012/11/27(火) 20:33:22.70 0

同様の地域差は精神病患者への対応でも見られる。
ソースとしてエヴリヤ・チェレビを引用する際は慎重にならなければならないが、
少なくとも当時の雰囲気を充分に伝えている。

チェレビの描く精神病患者とは端的に言えば「笑いの対象」。
大都市では季節・天候に関わらず全裸の狂人が走り回っているシュールな光景が日常だった。
しかもご丁寧にもイチモツが揺れる様まで描いている。

この見方は別にチェレビ個人のものではなく、イスタンブールでは共通の認識であったらしい。
この時代には各職能団体がパレードを行っていたが、
チェレビの見たパレードでは病院の代表により数珠繋ぎにされた重度精神病患者が奇声を発する様を見て
イスタンブール市民は爆笑している。

これと対称的なのはアラビア語圏で、聖人としての精神病患者が現れる。
例えばダマスカスの「聖人」はやはりイスタンブールの狂人達と同様全裸ストリーキングで、
更に過激なことに平気で女湯に入って行き三助のようなことも行っているが誰も文句は言わない。

常連客の一人が妊娠し出産した際に
生まれた子を自分の息子だと言って連れ去ったエピソードも紹介されていることから
何らかの性交があったことも暗示されている。

これらの行為にも関わらずこの狂人は住民に「聖人」として崇められていたというのは象徴的である。
後にチェレビはカイロに移住するが、便所で排便中にいきなり入り込んできて物乞いする人物と遭遇する。
この男も全裸ではなかったとはいえ恐らくはなんらかの精神障害者と思う。
実際に「聖人」として畏怖されていたとのことで、カイロとダマスカスにおける精神病患者観を示唆するものである。

27 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 21:26:41.61 0

ttp://www.systemicsarchive.com/ja/b/discipline.html
中世初期から多くの癩施療院が、ヨーロッパ中に、例えばパリ郊外(中心に対する周縁)に造られた。
重要な点は、この施療院なるものは、医学的治療のためではなく、道徳的排除のために設けられたということであり、
中世末期に癩病が廃れると、性病患者が、しかしその後すぐに狂人が「後継者」として施療院に閉じ込められる。
この封じ込めは、狂気を理性から排除し・隠蔽することによって、かえって理性に狂気の存在をあらわにする。
理性の存立=権力秩序にとって、狂気なるスケープゴートはむしろ必要なのである。

38 :世界@名無史さん:2011/11/22(火) 21:58:26.58 0

狂人といえばイヴァン雷帝だなあ。

虐殺を命じた直後に泣きながら罪を悔いて神さまに懺悔して
そしてまた虐殺その他の暴虐→悔い改めの繰り返し。

糖尿病で血糖値が上がっていて精神の混濁を招いたという説もあるらしいけど。

39 :世界@名無史さん:2011/11/22(火) 22:03:07.00 0

俺が読んだのでとりわけ痛ましいのが北斉の廃帝殷。

父の文宣帝は周知の通り完全な殺人狂だったが
その父から囚人を斬れと命じられた天性温和な少年皇太子・殷。
彼は処刑を泣いて拒んだ。父は激怒。皇太子は「精神昏擾」して以後言語障害になってる。

40 :世界@名無史さん:2011/11/22(火) 22:11:21.13 0

殺人狂で有名なのが「大西皇帝」こと張献忠。
「今夜は誰も殺すべき奴はおらんのか」と酩酊して喚きちらし自分の妻子を惨殺。
翌朝我に返って「なんで俺を止めなかった!」と近臣を惨殺。

『叛旗・小説李自成』でこやつを英雄視して
虐殺された明の忠臣を矮小化していたのは実に見苦しかった。
案の定、文革で毛沢東と江青に媚びるための小説だった。

106 :世界@名無史さん:2012/01/06(金) 23:58:51.32 0

徳川家重

小学生の頃に見た大河ドラマ「八代将軍吉宗」に出てきた家重のよだれ垂らしながらあうあういってる演技が今も忘れられん

114 :世界@名無史さん:2012/01/11(水) 18:22:44.55 0

>>106
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q119295976
ここには徳川家重は障害者であることを江戸の庶民から馬鹿にされていたとあるが
今よりも情報が公開されてない、江戸時代で将軍が障害者だなんて、庶民が知っていたのか?

117 :世界@名無史さん:2012/01/13(金) 22:43:39.69 0

>>114
しかし、家重の肖像を書いた絵師は勇気あるよな
もろ池沼丸出しの顔だし

120 :世界@名無史さん:2012/01/15(日) 14:00:08.42 0

>>117
明の太祖のように見栄えがいい肖像画はあるのかな?

明の太祖とは

朱 元璋(1328年-1398年)。明の始祖であり、初代皇帝。廟号は太祖(たいそ)。その治世の年号を取って「洪武帝」と呼ばれる。

現在残っている洪武帝の肖像画は両極端な二種類がある。一方は君子然とした温和そうな老人であり、もう一方は歪んだ顔立ちで痣の多い醜い人相である。なぜ二種類の肖像画が存在するのか諸説あるが、現存数は後者の方が圧倒的に多く、いずれも容貌が相似することから、醜い顔立ちの方が史実に近いと考えられている。

121 :世界@名無史さん:2012/01/17(火) 19:11:35.93 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Tokugawa_Ieshige.jpg

目つきヤバいもんな

122 :世界@名無史さん:2012/01/18(水) 00:11:44.16 0

>>117
>>121
ルドルフ2世の肖像も大概ひどいがこれは別格だなw

ルドルフ2世とは

ルドルフ2世(1552年-1612年)。神聖ローマ帝国のローマ皇帝、ローマ王、ハンガリー王、ボヘミア王。ハプスブルク家のマクシミリアン2世と皇后マリアの子。

政治能力に欠けていたため後に王位を弟に譲ることになるが、文化人としての教養に富み、芸術や学問の保護に力を注いだ。 多くの芸術家・学者・錬金術師たちのパトロンとなり、ルドルフ2世が首都と定めた帝都プラハは大きく繁栄した。

ルドルフ2世の肖像画としてはジュゼッペ・アルチンボルドの「ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像」が有名。ルドルフ2世をローマ神話における豊穣の神ウェルトゥムヌスに見立てた肖像画で、神聖ローマ帝国で収穫される野菜・果物・花々の旬の姿が描かれ、皇帝の恵みに満ちた統治によってもたらされる帝国の調和と繁栄を祝福している。ルドルフ2世はこれを大層気に入り、アルチンボルドに宮中伯という貴族の最高位を授けた。

41 :世界@名無史さん:2011/11/24(木) 17:33:48.63 0

優れた記憶力(所有している戦象の名前を全て覚えていた)をもちながら文盲と記録されているアクバル大帝も
特殊な能力が発現するタイプの障害者だった可能性はあるんでしょうか?

42 :世界@名無史さん:2011/11/24(木) 17:44:58.07 0

近代以前なら為政者でも文盲は珍しくなく、文書が必要なら秘書が口述筆記する
文字を用いるとむしろ思考力や記憶力が鈍くなるとソクラテスも言っている

3 :世界@名無史さん:2011/11/20(日) 09:30:15.52 0

文明の発展が障害者を創る、という説がある

識字率の増加がディスレクシア(読字障害)を創り、
産業革命が起こり、工場での規則正しい労働に適応できなかった人々が知的障害者とみなされ、
IT革命でサービス業に適応できなかった人々が発達障害者とカテゴライズされるようになった

56 :世界@名無史さん:2011/11/30(水) 19:50:01.74 0

ちょっと頭が足りない人に対する社会の受け止め方って、
ほんの30、40年ぐらい前と比べても全然違ってしまったね。

以前は、なんとなく近所の子供の人気者だったりしてそういう人たちにもなんとなく居場所とか存在価値があったけど、
今は社会が高度になりすぎたて、生活の面倒を見るのも、存在意義を探すことに対しても、
きっちり管理してやってあげているって感じ。

60 :世界@名無史さん:2011/12/03(土) 00:16:12.17 0

>>56
山下清とか
今の世の中じゃ、あんなのはもう無いよなぁ

79 :世界@名無史さん:2011/12/13(火) 10:38:19.69 0

欧米文学等では、少し頭が足りない純真な人は、天使が人間としてこの世に生まれた姿、
という了解事項みたいなものがある。
なんで、映画でそういう人が出てくると、暖かくみんなで見守ることになる。
そして天使なんで、何か人間に出来ない特殊な能力を持ってたりする。

グリーンマイルに出てくる巨大な黒人とか、フォレスト・ガンプとか。

57 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/11/30(水) 22:42:21.55 0

昔は仙台四郎の様な人が自分の町にもいて、皆が世話していたが、彼がいなくなって町からゆとりの様な空気が消えたとは、水木しげる先生の弁。
貧乏でも知的障害でも、きっちり管理される様になりましたね。
板の上で孤独に死ぬことがなくなった代わりに、管つきで病院で死ぬのが当世風。

障害というので、亥の子(東国の方々にはお分かりにならないでしょうが)を思い出しました。
今でもよくやっていますが、掛け声は「亥の子亥の子亥の子餅ついて繁盛せえ繁盛せえ」という無難なもののみ。
「亥の子亥の子亥の子餅ついて祝わん奴は鬼産め蛇産め角生えた子産め」の方は、完全に廃れましたね。

仮にどこかで復活したら、己と関係のないことでも口を出したがる正義漢が止めに入り、止めさせて満足気な顔をすることでしょう。
悪漢は影に入ろうとするが、正義漢は表に出ようとする分、まだ性質が悪い。

やらない家があまりよく見られない風潮自体は田舎では健在で、東京から越して来た家が断ったが「嫌な感じがした」と新聞に投稿していました。
(もっとも、これはこれで十数年前の話です)
とはいえ、出が田舎の私としては、地場には従えという気も致します。

83 :世界@名無史さん:2011/12/16(金) 04:06:44.01 0

>>57
仙台四郎って、結構、関東まで進出してきているね。
茨城の中華料理屋や、古河のソバ屋でも、複製写真が飾ってあった。
どの範囲まで広がっているのだろう。

他にも、仙台四郎的な人は居るのかな?
精神薄弱者を福の神と崇める風習は、全国的というか、世界的にも見られる現象なの?

仙台四郎とは

仙台四郎(1855年頃-1902年頃)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて現在の宮城県仙台市に実在した人物。人神。通説によると本名は「芳賀 四郎」だが、親族によれば「芳賀 豊孝」であるという。

知的障害があり会話能力は低かったが、四郎が好んで立ち寄る店はことごとく繁盛し、四郎が抱き上げた子供は丈夫に育つと評判だった。マスコミがこの噂を取り上げたことから一躍有名になった。

四郎の死後、生前から四郎と付き合いのあった仙台市内の写真館が30歳頃の四郎の写真を絵葉書として印刷し「明治福の神(四郎)の写真を飾れば商売繁盛のご利益がある」として販売を始めた。この時から「仙台四郎」と呼ばれるようになった。現在残っている四郎の写真はこの絵葉書の一種類だけである。

58 :世界@名無史さん:2011/12/01(木) 11:22:57.36 0

仙台四郎って知らんからぐぐったら、諸星大二郎の「六福神」の福助の元ネタか。
実在したんだアレ。

59 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/12/01(木) 21:47:09.56 0

そもそも、福助人形の福助自体、今から200年ほど前に実在した人物です。
身体障害者が見世物に出されていたのが評判を呼び、
引き取った旗本の屋敷に吉事が続いたことから、本人も厚遇されたという話。
そういえば、どこの国でも小人は見世物にされていましたが、
我が国でも鎌倉時代の『病草紙』に、小人の芸が出て来ます。
他にも畸形の例が紹介されているのですが、見ている方が笑っている一方で、
見られている方も笑っているのが、印象的ですね。

海外で有名なのは、エレファントマンか。
他に近代では、ヘレン・ケラーと大石順教が感動的。
ヘレンも知っていた塙保己一、サリバン先生も偉大な人物でした。

福助とは

フルネームは「叶 福助」。「福の神」として福を呼ぶ・願いを叶える、・商売繁盛のご利益があるとされる。福助のモデルには諸説あるが、一番有力とされているのは佐太郎説である。

摂津国の佐太郎説
摂津国西成郡安部里の百姓、佐五右衛門の息子の佐太郎は、身長2尺(約60センチ)足らずの短身大頭だった。周囲の笑い者になるのが耐えられず旅に出た。東海道を下っている時に香具師と出会い、見世物小屋に出演したところ大層な評判となった。佐太郎は見世物小屋の主人から不具助をもじった「福助」の名前を与えられた。福々しくて縁起が良い名前だとして更に人気が出た。ある日、見物に来ていた旗本に召し抱えられたところ、その旗本の家に次々と幸運が訪れた。福助が福を招いたと大切にされ、旗本の世話で女中の「りさ」と結婚。永井町で深草焼(陶器)の商売を始め、自分に模した人形を売り出した。その人形が福助の死後に大流行したという。

大文字屋の下村彦右衛門説
京都で古手商「大文字屋」を営む下村彦右衛門(後の大丸百貨店創業者)は、身長が5尺(約150センチ)の短身大頭だった。彼は大変な働き者で商売上手、貧しい人への施しを厭わない「義の人」であった。人々は次第に彦右衛門を「福の神のような人」(福助)と思い始めた。伏見稲荷の人形師が彦右衛門をモデルにした人形を作ったところ大人気となった。彦右衛門を模したため当初は大人顔だったが、頭と身体のバランスから子供のようにも見え、次第にデフォルメされて童顔の人形になったという。

d

もぐさ屋の番頭説
江戸後期、滋賀県伊吹山にあるもぐさ屋「亀屋佐京商店」の番頭である福助は、謹厳実直で店訓をよく守り、店頭では裃を身に着けて扇子を持ち、中山道を行く人々を相手に商売に励み、店を繁盛させたという。この評判を聞いた京都伏見の人形屋が番頭に模した人形を売り出した。巨大な福助人形は今も亀屋佐京商店のシンボルとして中山道を行きかう人々の安全を祈願して店に鎮座している。江戸末期の絵師歌川広重が刊行した「木曾街道六十九次」の柏原に、亀屋左京商店の福助人形が描かれていることから、少なくとも1840年までには亀屋左京商店に福助人形があったことになる。(※「もぐさ」とはヨモギから作られたお灸に使う草のこと。)

kameya-fukusuke.jpg kameya-fukusuke-photo.jpg

浮世絵に描かれた福助

福助(福の神)に扮した小人症の男性

92 :世界@名無史さん:2012/01/02(月) 12:34:08.08 0

欧州のどこの国の偉い人かなどは全く忘れちゃったけど
小人を雇ってた例もあったんでしょう?

なぐさみというか道化扱いだと思うけど

96 :世界@名無史さん:2012/01/04(水) 00:01:14.92 i

>>92
知的障害者や身体障害者を道化として、王が身近に置くことはむしろ当たり前だった時代もありました。
近代に入っても、見世物小屋で見世物として生きていました。
エレファントマンなどがそうです。
むしろ、近代以降のほうが治療という名目で社会から隔離されてしまった感が強いです。

125 :世界@名無史さん:2012/01/23(月) 21:19:01.07 0

63 名前:天之御名無主 投稿日:02/07/15 10:52
身体障害者も芸であった。
今の日本じゃありえないけどー

64 名前:山野野衾 投稿日:02/07/15 20:05
阿蘭陀人医師が江戸に行く途中見かけた睾丸の大きな男に
「治して差し上げましょう。」と言ったところ、
「お気持ちは有難いが、これで食っておりますので。」と断られたとか。

126 :世界@名無史さん:2012/02/01(水) 08:04:44.72 0

今でもあるだろ、背がやたら低い人のプロレスとか。
睾丸は流石に無いけど。

小人プロレス(ミゼットプロレス)とは

ミゼットプロレス(Midget Pro-wrestling)、通称「小人プロレス」。小人症の人が試合をするプロレス。闘う人をミゼットレスラーと呼ぶ。小人症は差別されやすく職探しが困難なことから、ミゼットプロレスは小人症の人にとって生活の糧を得る重要な仕事の1つだった。試合がない時はテレビ局やイベント会社からの依頼を受けて小型の着ぐるみを担当するスーツアクターの仕事もしていた。

136 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/02/22(水) 15:28:07.56 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis)

アステカだと身障の人は貢物としてテノチティトランへ送られて動物園に入れられてたな。

137 :世界@名無史さん:2012/02/22(水) 15:36:39.49 0

フリークスショーの芸人としての市民権
エレファントマンって映画ほど虐待されてたわけじゃないみたいね
むしろ稼ぎ頭として大切にされてたとか

140 :世界@名無史さん:2012/03/11(日) 16:29:52.54 O

>>137
自分の食い扶持を正当に稼いでる、ってことだしね
そもそも、そう言う仕事で稼ぐのが当たり前だから、差別とか虐待される訳ではない。

144 :世界@名無史さん:2012/03/17(土) 06:50:03.07 0

>>137
そういえば昔、中沢新一が、欧米から見れば大相撲はフリークショーだと言っていたな。

145 :世界@名無史さん:2012/03/17(土) 20:18:42.49 0

欧米なんて相撲取レベルの肥満が普通にいるんだが
その言から云えば、欧米はフリークだらけって事だな

89 :世界@名無史さん:2011/12/18(日) 22:48:25.49 0

19世紀までは知的障害者・精神薄弱者で誕生前後に間引かれなかった人は社会全体で育てないとまずかったからだろう。
宗教的にも何ら犯罪的なことをしているわけではないからね。

91 :世界@名無史さん:2012/01/01(日) 20:36:46.98 0

昔は生産力に余力が無いから、徒食者を生かしておく余裕はあまり無かったろうね。

今の開発途上国の障害者とかはどんな扱いなんだろう。

93 :世界@名無史さん:2012/01/02(月) 17:31:21.48 0

>>91
>昔は生産力に余力が無いから、徒食者を生かしておく余裕はあまり無かったろうね。

そういうのって現代の発想だと思うけど。
戦乱、飢饉などの非常事態の時は別として、平時には社会的救済制度がなんらかの形で世界各国であったんじゃないの?
一般人の場合は喜捨とか、領主によるものとか。

123 :世界@名無史さん:2012/01/18(水) 21:47:01.06 0

昔は日本なんかでも間引きによって「異常な」赤子は処分されていたと聞くが

124 :世界@名無史さん:2012/01/18(水) 21:49:59.25 0

障害児になる子供は、元々流産しやすかったしね。
今は医療が発達して、無事出産できるようになってしまったけど、それがいいことなのかどうか。

157 :世界@名無史さん:2012/04/01(日) 21:02:37.73 0

自閉症の子どもとか間引きされていたんだろうか?

159 :世界@名無史さん:2012/04/03(火) 03:34:18.68 0

知能が普通でない自閉症はその対象だったかもね
言語にも障害があったりだし

160 :世界@名無史さん:2012/04/03(火) 17:11:21.29 0

ただ自閉症って、生まれてすぐには分からないよね。分かるのって1歳過ぎてからくらいでしょ。
ある程度大きくなったら、始末できないんじゃないの。人買いに売るとかするのかな。

127 :世界@名無史さん:2012/02/01(水) 22:22:06.55 0

ラケダイモンじゃ、弱そうなだけでも捨てられるんだから、障害なんかあったら、ポイ捨て即決定だったんだろうね。

ラケダイモンとは

古代ギリシアの都市国家スパルタの正式名称がラケイダモン。スパルタ教育により新生児は部族長老の面接を受け、虚弱者は山奥の洞穴に遺棄された。

128 :世界@名無史さん:2012/02/04(土) 09:59:25.83 0

映画『300』ではそういう障害者への冷たい仕打ちが
スパルタ軍の敗北を招いたような描かれ方だった。

しかしヘロドトススの『歴史』では、重い眼病を患った
兵士が前線に駆けつけて戦死したと書かれている。
後天的な障害であればセーフだったのだろうかどうだろうか。

44 :世界@名無史さん:2011/11/26(土) 02:19:56.70 0

古事記に出てくる伊邪那岐と伊邪那美の国生み神話で
最初に生まれた子が先天的に骨格を持たない子(水蛭子)だったので
葦舟に乗せて海に流したという。

この神話が物語ることとして
古代の人は生まれた子が障害児だと海や川に流して捨てていたのだろうか?

45 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/11/26(土) 10:12:47.37 0

どうも、不具の子だと川に流す、山の木の上や岩の下に置くなどの捨て子習俗があったのではないか、という説もあります。
子が産まれて来る前の世界に帰すという意味合いがあったのかもしれません。
当時の葬法を連想させるやり方ですが、誕生と死亡は、文化的には表裏一体。

ただ、記録された例は説話での特殊なものですし、
捨てた後で様子を見ると状態が変わっていたので拾って帰ったという話があることからすると、
捨てた子を拾いなおすという、近世にもあった習俗であったのかもしれません。

46 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/11/26(土) 10:22:32.60 0

ただ、野獣に食われる可能性もあったでしょうね。
平安中期ないしは後期の京都での例ですが、屋外(羅城門の下)に捨て子がいたのを朝方見かけた男が、
夕方になってもまだ犬に食われずにいるのを見て、不思議がったという説話があります。
野外とはいえ、犬でもなければ狼その他がいたでしょうし。
一種の神判に委ねたものかもしれません。

なお、門というのは一種の公共というか「誰のものでもない空間」扱いされたもので、
死体や捨て子、悪疫に感染した身寄りの無い病人などは、ここに放置されました。
神や鬼や狐が住むとされたのも、人の住む空間ではなかったからでしょう。
人がいない、都市の中の空白だからこそ、人以外が住みつける。
そして、常人の世界から除外された人も行き着く。
乞食(生きている病人・不具も含む)というのも、門の下によくいた様です。

49 :世界@名無史さん:2011/11/27(日) 16:00:23.92 O

>>46
そういや大学の般教の日本史の教授が、四天王寺の門前の話してたわ。
石鳥居のあたりに被差別な人たちが集まってたんだっけ?

47 :世界@名無史さん:2011/11/27(日) 08:44:45.31 0

42 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 22:09:55.65 0
西洋中世では、障害者は乞食となり、ちゃんと自治組合(ギルドみたいなもの)を作って、権利を主張し保護していたらしい。
乞食も無芸では食い扶持が得られないので、芸を磨き、その芸が組合外に洩れないよう、ちゃんと組合が管理していたとか。
案外、健常者以外の人々の生存権が確保されていた面もあったようだ。
徳川時代の検校のように優遇された例はあまりないらしいが。

48 :世界@名無史さん:2011/11/27(日) 08:50:57.40 0

日本では、障害者同士の集まりとか、組織とか、横のネットワークみたいなものってあったんだろうか?

161 :世界@名無史さん:2012/04/06(金) 20:28:37.33 0

新里見八犬伝で、奇形で親に捨てたれた人たちが、洞窟に集まって暮らし、
村の人間は恐れて近づかないというエピソードがあったけど、
あの話って少しは元になるものがあるんだろうか?それとも作者の単なる創作?

211 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 13:19:00.25 0

85 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/09/30(日) 21:29:55.73 0
棄民の伝説は世界各地に残っている。
事実が不明瞭なのは実体が把握しきれてないから。
棄児の実体はしばしば表に出る。
間引きでなくても戦前の大量貰い子殺しとか悲惨な事例がある。
だが棄老の方はまだ未解明なんだよ。タブーですから。
ホームレスで頓死する老人も現代の棄老だろう。

170 :世界@名無史さん:2012/04/16(月) 21:38:27.67 0

133 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/04/16(月) 13:35:03.36 0
近世欧州の傭兵って戦場で負傷してカタワなったり、片目つぶれたりした人は
その後どうなるのですか?故郷に帰って畑耕す人生?

134 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/04/16(月) 13:54:48.37 0
近世フランスにはオテル・デ・ザンヴァリッド(廃兵院)なんかの施設があったね

137 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/04/16(月) 15:33:05.41 0
>>133
右手をなくしても鋼鉄の義手をつけて戦い続けた「鉄腕ゲッツ」なんてのもいる

50 :世界@名無史さん:2011/11/27(日) 21:24:34.63 0

37 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 21:22:07.50 0
日本の戦国時代って、生存競争厳しそうだけど、障害者って生き延びることできたんだろうか?

38 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 21:29:11.53 0
山本勘助とか大谷吉継とか障害者だろ

39 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 21:35:34.31 0
障害の種類とか、身分によりけりなのかな。
果たして、若年の農民でろくに自分で歩けないやつを、養ってくれる仕組みがあったかどうか。

40 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 21:49:29.87 0
視覚障害その他の身体障害、知的障害等々を負った人を養う仕組みは普通にあったんじゃない?
そもそも戦国時代ということと生存競争が厳しい云々ということが直接関係するとは思えないけど。

41 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 21:51:35.10 0
江戸なら乞食の描写で障害者が多くみられるけどな

51 :世界@名無史さん:2011/11/27(日) 21:24:55.72 0

44 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 22:38:54.88 0
戦争が多い時代は、当然、後天的な障害者は多かったわけで、救済策もある程度は講じられたんじゃないかな。
戦争のために障害を負った人間が「はい、それまでよ」で切り捨てられたのでは、本人も家族も我慢ならなかっただろう。
現代の福祉政策のようなものではなかっただろうけど。
中央集権ではなかったので地域差は大きかっただろうけど。

45 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 22:49:26.83 0
冬ともなれば北西の季節風が砂埃を巻き上げる江戸。
ましてや栄養や衛生の状態も悪い。
盲人はそれほど珍しくなかったということだ。

盲人の仕事といえば、按摩に音楽、鍼医者、そして金貸し。
落語に盲人をからかった話が多いのは、金貸し=盲人に対するやっかみも手伝ってのことだとか。

しかし音楽や按摩の才能がない盲人は悲惨だな。
盲目の国学者・塙保己一は楽器も弾けず按摩もできなかったので、学問で身を立てることになって大成した。
点字もない時代の学問修行は大変だったろう。

52 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2011/11/27(日) 23:13:52.69 0

>>49
>>18でも申し上げた様に、そうです。

>戦国時代の障害者
以下、文献がどこかへ行ってしまったので記憶によるものですが。
「乞食」をやしなっておき、村同士で諍いが生じた際、贖いとして死罪にするという慣習があった筈です。
『金枝篇』で言うところの王殺しや持衰の様に、罪をあがなわせて殺すことで解消する、という発想があったともいう。
『信長公記』には、先祖が常盤御前を殺して以来、代々乞食をやっている男が田舎にいたという話があります。
この場合、信長が特別に養わせていますが、その前でも生きていけたらしい。

中世に、身体的な影響を与える病などが原因で不具になり、
養ってくれる身内や僧がいなかった場合、乞食となり、京都なら非人頭の配下となりました。
11世紀以降、病人などに由来する「乞食」が「非人」と呼ばれ、清水坂一帯に集住し、組織化されています。
現在の今熊野の辺りが、かつての葬送地である鳥辺野(後にやや北へ移動)。
六波羅の由来は六波羅蜜寺で、髑髏原とする説はあまり信用出来ませんが、
そう言われたのも無理はない、「死」と縁のある一帯でした。
元々、鴨川より東は京都ではない。
祇園というのは八坂社(祇園社)に由来する地名ですが、祇園は元々疫病を司る神ですからね。
街中にいられては困る存在です。
この手の存在の祭りは、郊外(都市との境界)で行われましたし。

>冬ともなれば北西の季節風が砂埃を巻き上げる江戸。
「風が吹けば桶屋が儲かる」という奴ですね。

148 :世界@名無史さん:2012/03/22(木) 22:17:42.65 0

693 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/03/20(火) 19:52:34.33 0
メガネができる前の時代って近視の人はどうやって過ごしてたの?
近視の比率は低いと思うけど近視の人はけっこう不便だったんじゃない?

697 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/03/20(火) 20:24:07.00 0
>>693
加齢も相まって視力が落ちた人がイラついて部下に当りまくってた
なんて話も中国史に残ってるし不便で残りの人生過ごしてたんだろうね

699 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/03/20(火) 20:26:04.80 0
>>694、696-697
老眼じゃなくて、近視って書いてあるだろうが。 全く逆。

700 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/03/20(火) 20:29:48.99 0
見たい物に顔を近づけるだけ。生活するだけならメガネやコンタクト無くても問題ない。
夜の方が困るんだけど、そもそも昔の人は現代ほど夜に活動しない。
不便なのは近視よりも乱視の方だな。それも程度によるけどね。

701 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/03/20(火) 20:30:22.73 0
>>699
その人物の場合、老いによる視力の低下って話ではあるんだが
若い頃から苦学して官位について以降ずっとデスクワークだから
近視と老眼の両方が疑われてよくわからなかったり

日本の江戸時代もデスクワークメインの人は結構近眼だったみたいだね

149 :世界@名無史さん:2012/03/22(木) 22:37:29.48 0

近視で戦争になったら結構大変そうだよな。

151 :世界@名無史さん:2012/03/23(金) 16:47:17.21 0

>>149
なんだ、その近視で戦争って?

152 :世界@名無史さん:2012/03/23(金) 19:56:42.65 0

近視の人が従軍したらと言う意味じゃないかな?

153 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 00:46:27.75 0

>>151
>>152のとおり、「近視で従軍すると敵味方区別つかないで大変なことになりそう」という意味です。
兵士位ならともかく、王様とか従軍を断れないポジションの人だとえらいことになるのでは。

150 :世界@名無史さん:2012/03/22(木) 23:53:17.78 0

グスタフ・アドルフはかなりの近眼だったらしいが。

154 :世界@名無史さん:2012/03/27(火) 19:25:18.25 0

近視と似ているが、弱視の方が昔は多そう。

171 :世界@名無史さん:2012/04/16(月) 22:47:00.25 0

昔から白内障はあった。
今より外でサングラスも無しに年中畑仕事していたんだから、なり易い。

102 :世界@名無史さん:2012/01/06(金) 23:38:50.02 0

258 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/03/11(日) 21:58:43 0
鍋被り葬ってなに?

261 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/03/15(木) 04:01:13 0
>>258
鍋被り葬って、ハンセン病などの伝染病で亡くなった人の頭に鍋を被せて埋葬すること。
おそらく日本独自だろう。もし中国や東南アジアの事例があったら教えて!

262 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/03/15(木) 17:53:25 0
しかし北海道のオホーツク海沿岸で10世紀ごろ栄えた「オホーツク文化」では、
遺体の顔の部分に甕を伏せてのせ、葬る例もある。
ちなみにらい病患者の埋葬法に、「墓に炒り豆を蒔き、『この豆が芽生えたらまた来る』と言い残こす」
ものもあった。当然炒り豆が芽吹くはずがない。

それだけらい病は嫌われていたのだ。

103 :世界@名無史さん:2012/01/06(金) 23:39:33.68 0

263 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/03/16(金) 02:57:09 0
日本のハンセン病死者に対する「鍋被り葬」みたいな特殊葬法は、
ヨーロッパや中国などでは、どのような死者に対して行われていたのでしょうか。

267 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI 投稿日:2007/04/14(土) 18:56:12 0
>>263
>特殊葬法
ハンセン病以外の例でしたら、中世の西欧では、刑死者の死体を十字路に埋めたようです。
日本でも悪党の死体を十字路に埋めた例がある。

>樹上葬
東南アジアにもあったと思いますし、仏典にもインドの習俗として登場していますが、
我が国でも古代から中世にかけて、神罰や病気で異常死した人間に対して行われました。
木の枝に棺桶をかけたりしたものです。
異常な赤ん坊(奇形など)も同様の処置がとられており、木にかけるという行為は再生を意味していました。
中世ヨーロッパの絞首刑も、罪人を果実に見立てて再生を祈願したという説があるくらいです。

104 :世界@名無史さん:2012/01/06(金) 23:47:49.91 0

>鍋被り葬って、ハンセン病などの伝染病で亡くなった人の頭に鍋を被せて埋葬すること。

ってことは、もしかして昔話の『鉢かづき』もハンセン病、もしくは類似の病気か何かが元になった話?

107 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/01/07(土) 01:44:14.85 0

>>104
どちらかというと、姥皮の系統に近い気が致します。
ただ、鉢かづき(下女)・姥皮(下女)・甲賀三郎(蛇)・百合若大臣(下男)・小栗判官(湯治を求める足なえ)という様に、
中世物語の主人公が一端身を落とし、そこから這い上がる話が好まれたのは、面白い事ですが。

鉢かづきは鉢により、姥皮は皮により、甲賀三郎らは異界遍歴や遭難により、それぞれ「異形」となっている。
中世人の考えた「異類異形」は、人間外の存在(非人は元来人でない存在を指した)、
髪型などが常識とは異なる異国人、病気や刑罰によって身体的欠損を生じた人間などを含む、幅の広いものでした。

病気そのものではないにせよ、向けられた視線は似ていたかもしれません。
ものぐさ太郎も、本来は皇胤であった人物が、犬烏と共に暮らす乞食という「異形」として生きていたのが、高位に返り咲くお話です。

109 :世界@名無史さん:2012/01/08(日) 00:03:13.07 0

姥皮って初めて聞いたんで、ぐぐってみたら、なんかグリム童話にありそうなストーリー

110 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/01/08(日) 01:17:44.75 0

>なんかグリム童話にありそうなストーリー
よく言われますが、『千枚皮』ですね。
あれは王女が一旦獣になって社会的な関係をリセットすることで、父親と結ばれている。
ヒロインが結ばれる相手を、父王とは別人と改変したものが多いですが。

皮をかぶって化けるという話は、清代の伝奇小説にも見られます。

112 :世界@名無史さん:2012/01/10(火) 09:05:00.64 0

確かに、清代の話って皮を被って化ける話がちらほらとあった気が。
なぜ清代になってそういう発想が生まれたんでしょうかねぇ。
明代には単にそういうジャンルがなくて、清代になってから初めて生まれたのか、
もしくは、そういう話が西の方から伝わってきて影響を受けたのか。

105 :世界@名無史さん:2012/01/06(金) 23:53:57.97 0

鍋を被る&差別の昔話と言うと、「とうせん坊」の方を思い出す。

「とうせん坊」とは

昔、一本足の高下駄を履き、松明を持ったとうせん坊という大男が村を暴れ回っていた。

彼が物心付いた時すでに両親は無く、北上川上流の小さな寺に預けられていたが、大柄で頭が足りなかったので和尚や坊さんや子供達に「うすのろ」「でくの坊」等と苛められて育った。そんな連中を見返してやりたいと思ったとうせん坊は、観音堂にこもって祈り続けた。満願の日、観音様が差し出した手まりを食べた彼は百人力を授かった。

早速村の奉納相撲に参加したが、気付いた時には有り余る怪力で対戦相手を次々と殴り殺してしまっていた。今度は「人殺し」と罵られ、彼は山に一人引きこもった。しかし村の若者達が住処を見つけ、彼の留守中に仕返しとばかりに鍋に糞をして帰っていった。帰宅後これを知った時から、とうせん坊は暴れ者と化した。村に来ては家に火を付け、家畜を絞め殺し、村の花見の時も大人子供関係無く、怪力で殴り殺して回った。

やがて彼は村を出て、越前の「東尋坊」と言う岬に来た。ここの眺めが気に入った彼は、そこで宴会をしている優しそうな村人達に酒を勧められた。久方ぶりに人の優しさに触れた彼は酒に酔い、夢の中で母親の子守唄を聞いていた。

しかし気付いた時彼は縄で縛られ、村人達に担ぎ上げられ崖へと運ばれていく所だった。彼の涙も「おっかあ・・・」と言う呟きも、みんな彼ごと崖下に消えていった。この事があってから東尋坊で吹く強風は「とうせん坊」と呼ばれ、恐れられる様になった。とうせん坊の怨念は、今も海上で吹き荒れている。

183 :世界@名無史さん:2012/07/05(木) 22:59:08.26 0

146 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/05(木) 14:51:05.88 0
中世ヨーロッパで猛威を振るった疫病が病理学上、ペストと判断できたのはなぜ?
最近ではスペイン風邪もただのインフルエンザじゃなくて新型インフルエンザだというぐらいなのに
ましてや中世の話でしょ?

147 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/05(木) 16:14:32.14 0
ペスト患者は全身に黒い痣ができるのですぐに判別できた
もちろん、そうした症状がでる病気を「ペスト」と言ったのであって
現代のペストの定義とは必ずしも一致しない

欧州に限らず昔は多くの病気を
「この病気になるとこんな症状が出る」って特徴で分別するのが普通

148 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/07/05(木) 16:24:45.22 0
後、よく古代の病死などした人物に関して
「原因は糖尿病」とか「死因は天然痘」など書いてあることがあるが
あれも遺体を直接調査した結果の場合を除けば
必ずしもそうだったのかは不明なことが多い

例えば、藤原道長は糖尿病で死んだとされているが
それも「よく水を飲むようになった」とか「足の感覚が鈍くなった」
などの記述や当時の道長の生活環境から
この水飲み病とは糖尿病のことだろうと推定している

184 :世界@名無史さん:2012/08/14(火) 10:33:53.99 0

654 名前:世界@名無史さん 投稿日:2012/08/12(日) 22:54:13.63 0
赤ん坊が病気になったら、昔は有効な治療法はなかなかないからね。
注射もなければ点滴もない、乳児に薬を飲ませるのも至難の業。
しかも中世ヨーロッパの衛生状態はかなり悪い。
赤ん坊は生まれるとすぐ布でぐるぐる巻きにして寝かされていた。
そのため骨の成長に異常をきたすことがあった。

189 :世界@名無史さん:2012/09/07(金) 05:32:45.01 0

>>184
「せむし」はそのせいだったのかな。

190 :世界@名無史さん:2012/09/07(金) 20:25:16.20 0

背虫ってくる病じゃないの?

「せむし」とは

背骨が弓なりに曲がり、前かがみの体形になる病気。ビタミンD欠乏や代謝異常によって生じる、骨の石灰化障害。典型的な病態は乳幼児の骨格異常で、小児期の病態を「くる病」、骨端線閉鎖が完了した後の病態を「骨軟化症」と呼び、区別する。昔の日本では背中に虫がいると信じられていたため「背むし(背虫、傴僂)」と呼ばれていた。

rachitis.jpg
247 :世界@名無史さん:2012/12/12(水) 01:45:58.79 0

病人というと、一般にマイナスイメージ。
極端な場合は、差別や隔離や哀れみの対象となるのだけど、それとは真逆に、
特定の病気に罹ることによって、その人のイメージがプラスになる、社会的評価が上がるという病気はないかな。

俺が思いつくのは、ロマン主義時代の結核だけなんだけど、
他にもそんな病気はなかったのかな?

250 :世界@名無史さん:2012/12/12(水) 19:05:39.86 0

>>247
畸形。いまでもインドはそうだけど、他にもシャーマニスティックな伝統社会では重宝されること多し。

結核と同じくマイコバクテリウム属の最近の伝染病である癩も、
新約聖書に記述があるということで、色々と特別扱いされることがあった。
癩はヨーロッパ史の一大問題なのに、未だに日本ではまともな本が出てない!

260 :40:2012/12/13(木) 02:17:39.61 0

>>247
沖縄では、カミダーリーという病気(症状)に陥ると、ユタになる場合が多い。
ユタは霊能者なので、沖縄では人物評価が上がるといえば、上がる。

43 :世界@名無史さん:2011/11/26(土) 00:02:58.39 0

なんか1の意図とは違って、障害があった歴史上の有名人を挙げていくスレになってしまってるな。

163 :世界@名無史さん:2012/04/12(木) 16:28:26.87 0

たぶん、この1は社会学的見地から、その待遇や福祉、施策を語りたかったのだろうな。
福祉板が良いのだが、あそこは程度が低いからなあ。
エリザベス救貧法から近代福祉施策が始まったんだか。

164 :世界@名無史さん:2012/04/12(木) 16:45:58.86 0

その手の話だと、ビスマルクが頑張ってなかったっけ?

165 :世界@名無史さん:2012/04/12(木) 17:08:04.35 0

>>164
ビスマルクは廃兵を社会的に救済する仕組み、障害者に対する近代国家の施策が始まるんですね。
それも富国強兵による国民軍の創設による副産物。
以外と、戦争と福祉は関係がふかそうです。

166 :世界@名無史さん:2012/04/12(木) 22:39:27.11 0

福祉してやるから戦争に参加しろ
戦争に参加さすとなれば福祉ぐらいはやってやらんとキレられる
そんな感じかな?

167 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/04/12(木) 23:20:47.44 0

日本で国民皆年金制度が始まったのは戦時中ですし(模範は当時のドイツ)。

>エリザベス救貧法
昔受けた西洋史の講義では、諸外国に汚い路上や貧民を見せたくないという体面上の理由もあったと説明されましたね。
日本でも1940年の五輪(中止)前には古い木造家屋の破壊が進んだそうですし、北京五輪前の現地でも同様のことがあった由。

169 :世界@名無史さん:2012/04/15(日) 04:48:46.18 0

労災保険や社内福祉の導入には「死の商人」ことアルフレート・クルップの関与も大きい。
それを国単位に拡大したのがビスマルク。

82 :世界@名無史さん:2011/12/13(火) 21:46:40.65 0

フーコーは福祉国家というものを、「公衆衛生によって管理・統制」するものとして抵抗するよう呼びかけたんだよな。
理念的にはなんとなく共感するんだけど、現実社会のあり方を考えるとき、本当に賛成していいのか悩む。

172 :世界@名無史さん:2012/04/17(火) 00:04:57.17 0

中国史なんかでも古代からちょくちょく傷病兵や戦争未亡人、孤児に対する社会福祉の話題出てくるよね

173 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/04/17(火) 22:18:56.84 0

孤児と未亡人と身寄りのない老人(あともう一つ何かあった気が)を世話することは、
『礼記』ほかに出て来て、それに倣った古代日本でも行われていますね。

174 :山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte :2012/04/17(火) 22:26:25.27 0

ああ、思い出しました。鰥寡孤独です。
鰥は妻のない男のこと。

217 :世界@名無史さん:2012/10/08(月) 22:52:30.76 0

イスラム世界ではワクフがかなりのフォローをしているね。
近代以前ならイスラム圏が福祉が一番充実していた社会かもね。

ワクフ(waqf)とは

イスラム社会において何らかの財産を基金として供出し利益を慈善事業として施す寄進制度。

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日本の障害者―その文化史的側面
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中央法規出版 1997年

ヒルコ伝説から明石検校覚一、岩橋武夫や村上鬼城に及ぶ日本の障害者の歴史。能狂言・歌舞伎・文芸作品の紹介もふんだんに交え、数々の意外な指摘も。日本の歴史や文化をささえた障害者たちの活躍に光をあてる。

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