不穏な出来事 

嫌過ぎる脳外科手術の話

後味の悪い話しPART2
http://curry.5ch.net/test/read.cgi/occult/1011089769/
129 :1:02/01/18 01:05

消防の頃読んだ話なので作り話かと思い込んでたが、調べてみたら実話だった。
嫌過ぎるロボトミー(脳外科手術)の話。
以下ちと長いがコピペ。

昭和33年6月5日、坂本一仁は河口湖畔で生まれた。
銀行員だった父親は、仕事と家庭を放り出して行方がわからなくなっていた。
母岩瀬幸子(24)は一度は一仁を堕ろそうとしたが、割烹旅館で働きながら一仁を産んだ。
生後3ヶ月の頃、母は上京し、新宿のクラブに勤めた。一仁は甲府の祖母と2人で育った。
母は学齢になったら一仁と暮らすのを夢見ていた。母はホステスをやめ、池袋でスナックをやっていた。

昭和40年4月、一仁は上京し日之出小学校に入学した。
しかし、5月に知恵遅れとして大塚台小学校特殊学級に転校させられた。
一仁は目をパチパチするようになり、1年生の終わり頃、一仁は数秒から10数秒、瞬間的に意識をなくす発作を起こした。
昭和42年1月19日、担任教師の紹介で都立梅ヶ丘病院に通院した。
投薬を受けたが、1人で通学し、問題なく友達と遊んだ。
11月23日、全身けいれんの発作を起こした。
翌8月に2度目の発作を起こし、梅ヶ丘病院に入院した。
なじめず、1週間で退院した。母は池袋に近い病院を希望し、東大分院精神科外来を紹介された。

131 :2:02/01/18 01:06

分院で検査をしたが検査結果に疑問があると、東大脳外科を紹介された。
一仁は検査を嫌がった。それで検査には全身麻酔が必要だと入院する事になった。
11月22日、一仁は入院した。
25日、脳外科の長、佐野圭司教授が大勢の弟子を連れて回診した。
佐野は一仁のカルテに『難治性てんかんでステレオ(定位脳手術)適応』と書いた。
検査の前日、1回の回診で検査入院をしたはずの一仁がロボトミー手術を受ける事になってしまった。
病院はいつまでも一仁を退院させなかった。
母はやっと一仁を退院させ、分院に通院させた。
投薬で症状は落ち着いて来た。

昭和44年11月27日、朝11時、東大脳外科からの突然の電話で一方的に入院を言われた。
母は一仁を早退させ、病院に連れて行った。
12月2日、頭蓋骨に穴を空けて脳波を調べるなどの検査を受けた。6時間以上かかるつらい検査だった。
12月11日、一仁はロボトミーをされ、12月30日、歩く事もできず母に背負われて退院した。
発作も続いていた。
昭和45年1月3日、朝から何度も発作を起こした。母は病院に連絡した。
1月8日の再入院を指示された。入院した。
1月20日に2度目のロボトミー手術が行われた。
1度目も2度目も検査名目で手術だという事は知らされなかった。

133 :3:02/01/18 01:06

2月7日、一仁を病院から退院させるよう連絡があった。
悪化していた。主治医は冷たかった。一仁を捨てたのだ。
2月15日、退院。
寝たきりの一仁は1日中『ウルトラマン』と『仮面ライダー』の主題歌を聞くだけで、話す事もできなかった。
曲が終わると、一仁が母にだけわかる声でせがむ。
母は何度でもテープを再生した。床ずれが酷かった。
一仁にはヒダントールF錠が処方された。副作用で歯肉が増殖し、口の外にはみ出した。
流動食しか食べられない。1口ごとにむせて、まわりは嘔吐物で汚れた。
舌が喉の奥に沈み呼吸困難になった。眠っている時は顎を上げておかなければならなかった。
母は往診を依頼した。だが、担当医は連れて来いと取り合わなかった。
病院に行っても、担当医と会う事もできなくなった。
知り合いだった保険関係の新聞記者が顔を出してくれた。
すると、医師はすぐに出て来て往診を承諾した。態度がまったく違った。
往診はおざなりだった。手ぶらで来て、スリコギを出させ、一仁の体を叩いて見るだけだった。
貧しい母子家庭と見てか、馬鹿にしきっていた。
一仁は衰弱していった。
母は病院の対応が許せず、弁護士に会った。
昭和48年6月、母は訴訟を起こした。
昭和49年3月21日、一仁は死んだ。18歳だった。
裁判は続いていた。

http://www3.xdsl.ne.jp/~hana/wrk0030.html(※リンク切れ)

MEMO

1973年10月、医療被害を訴える2つの市民運動団体が東京大学病院を告発する1枚のビラを撒いた。
それは癲癇を患っていた坂本一仁君(当時11歳)が東京大学病院脳外科で検査と称して定位脳手術(ステレオ手術)を施され全身運動麻痺となり会話もできなくなったという内容で、坂本君に対する人体実験を告発すると共に東大脳外科と東大病院の責任を追及するものだった。

1969年の東大闘争以来、医局講座制の解体と臺弘教授の追放運動が未だ執拗に続いていた東大病院において、この告発は医師・医学生・医療従事者等に強い衝撃を与え、病院内部からも告発への支持や公開質問状などが多数出された。そこで前述の2つの市民運動団体に医学部学生自治会・東大精神科医師連合が加わって公開討論会が行われた。

公開討論会では主に「手術の同意」が焦点となった。坂本君の保護者である母親は「骨に穴を開けて行う検査」としか説明されていないと主張。それを裏付けるように看護日誌にも母親が入院に際し入院目的をそのように理解していた旨が記載されていた。

これに対して吉益医師は、母親を何度も呼んだが来院しないので電話で説明して手術の同意を得たと話した。同意を巡る両者の対立は、本当に吉益医師が母親に電話を掛けたのかという点はもちろん、そもそも電話一本で手術の同意を得ることが可能なのかと言う根本的な疑問も示された。

坂本君の場合、保護者である母親の同意が問題になっているが、坂本君本人の意思はどうであったのか。吉益医師は「坂本君は精神薄弱で字も書けないし、子供だから同意をとっていない」と話した。

坂本君の付添婦だった村井さんは「脳を手術しちゃだめだよ。あたしは何人もみているけど、よくなった患者は1人もいない」と坂本君の母親に語っていたという。

REFERENCE

現代の医療被害
青年医師連合東大支部編著
三一書房 1978年

「お医者様は神様か?」医学と医療の矛盾がいたるところで現出している今日。これまで「医療事故」や「医療過誤」として見過ごされてきた「医療被害」の実態を、若き医師たちが自分たちの検討例を具体的に示しながら、患者・被害者だけでなくすべての人に明らかにする。誤診・乱診、薬漬け、手術の乱用だけでなく、あなた自身が人体実験の用に供されているかもしれない今日の医療のありようを、それを生み出す社会的な基盤に至るまでメスを加える。新しい医学と医療の原点は、まずはここに据えられなければならない。

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